井伊家の歴史年表
時代 | 西暦 | 和暦 | 歴史事項 | |
---|---|---|---|---|
平 安 時 代 |
1010 | 寛弘7 | 井伊氏祖・備中守共保、御手洗井戸より出生。 | |
1093 | 寛治7 | 共保没、84歳、自浄院に葬る。 | ||
1156 | 保元1 | 保元の乱。源頼朝に従う遠江の武士に、井の八郎あり。 井伊氏、赤佐(奥山)貫名(袋井)の三家に分かれる。 |
||
鎌 倉 時 代 |
1192 | 建久3 | 源頼朝、征夷大将軍となる。鎌倉幕府成立。 | |
1245 | 寛元3 | 鎌倉鶴岡八幡宮の弓初めの儀式で、弓手三番に井伊介あり。 8代弥直の時、田中家、井平家、谷津家、石岡家分かれる。 |
||
1282 | 弘安5 | 貫名政直の曾孫・日蓮上人遷化。 | ||
1312 | 正和1 | 奥山朝清没。(奥山氏初代) 10代行直の時、上野家分かれ、11代景直の時、岡家分かれる。 |
||
南 北 朝 時 代 |
1334 | 建武1 | 後醍醐天皇による建武新政治始まる。 | |
1336 | 延元1 | 三岳城構築。 | ||
1337 | 延元2 | 井伊氏、今川軍と三方原で戦う。宗良親王、井伊奥の山に入る。井之介、奥の山に立て籠もる。 尹良親王、井伊城で出生。 |
||
室 町 時 代 |
1338 | 延元3 | 足利尊氏、征夷大将軍となる。足利幕府成立。 宗良親王、白羽へ漂着、井伊城へ入る。 |
|
1339 | 延元4 | 足利軍、鴨江城、千頭峯城、谷津・上野砦を落とす。 | ||
1340 | 興国1 | 1月、三岳城落城。 8月、大平城落城。 | ||
1354 | 正平9 | 井伊道政没。 | ||
1358 | 正平13 | 井伊弾正直秀、武蔵多摩川矢口の渡で自刃。 | ||
1362 | 康安2 | 藤原直貞、渋川六所大明神建立。 | ||
1371 | 応安4 | 奥山・井伊、今川貞世に従って九州の合戦に参戦。 | ||
1384 | 元中1 | 奥山六郎次郎朝藤、方広寺開創。 | ||
1385 | 元中2 | 宗良親王甍去、72歳。自浄院に葬り、寺号を冷湛寺と改める。 | ||
1438 | 永亨10 | 井伊弥太郎成直、鎌倉管領足利持氏を攻める幕軍に従い、戦死。 | ||
1485 | 文明17 | 18代忠直没。 | ||
1491 | 延徳年中 | 19代直氏、文叔瑞郁を自浄院に招く。 | ||
戦 国 時 代 |
1494 | 明応3 | 駿河守護今川氏親、伊勢新九郎と遠州侵攻を始める。 | |
1508 | 永正5 | 7月、19代直氏没。 | ||
1510 | 永正7 | 遠江守護斯波義達再び井伊谷に入り、今川氏と戦う。 | ||
1513 | 永正10 | 今川軍、斯波・井伊・大河内連合軍と戦い、三岳城を落す。 | ||
1532 | 天文1 | 直平、黙宗瑞淵を迎え、開山とし、龍泰寺を建立。 | ||
1542 | 天文11 | 21代直宗、田原城攻めで戦死。 | ||
1544 | 天文13 | 直満、直義、今川氏に誅殺。 直満の子、亀之丞信州へ逃れる。 |
||
1555 | 弘治1 | 亀之丞、井伊谷へ帰り直親と名乗る。 | ||
1560 | 永禄3 | 22代直盛、桶狭間の合戦で戦死。 直盛の法名により龍泰寺を龍潭寺と改める。 |
||
1561 | 永禄4 | 2月、直政(幼名 虎松)生まれる。 | ||
1562 | 永禄5 | 23代直親、今川氏により遠州掛川にて誅殺。 | ||
1563 | 永禄6 | 12月、20代直平、天野氏攻めの途中、急死。(毒殺説あり) | ||
1564 | 永禄7 | 新野左馬助・中野信濃守直由、曳馬城攻めで討死。 | ||
1565 | 永禄8 | 直盛娘、次郎法師(井伊直虎)、女性地頭になる。 | ||
1568 | 永禄11 | 家老小野但馬、井伊領を横領。井伊谷三人衆、井伊領を治める。 12月15日徳川家康遠州侵攻、小野但馬逃亡。虎松は鳳来へ逃れる。 |
||
1569 | 永禄12 | 家康、堀川城・掛川城攻略。今川氏滅亡。 | ||
1572 | 元亀3 | 12月、三方原合戦。 | ||
1573 | 天正1 | 1月、武田軍井伊谷へ乱入。龍潭寺炎上する。 武田信玄駒場で没。 |
||
1575 | 天正3 | 虎松、徳川家康へ出任。 家康、万千代の名を与え、三百石を与える。 |
||
1576 | 天正4 | 家康、高天神城で武田勝頼軍と合戦。 万千代、手柄を立て三千石に加増される。 |
||
1578 | 天正6 | 万千代、一万石に加増。 | ||
1579 | 天正7 | 築山御前、遠州で殺される。松平信康、二俣城で切腹。 | ||
1580 | 天正8 | 万千代、ニ万石に加増。 | ||
1582 | 天正10 | 6月1日、本能寺の変。家康、京に遊覧中の主従、伊賀越えで岡崎へ帰還。 8月26日、次郎法師(井伊直虎)没。 秋、万千代、家康に従って甲州入国。 四万石に加増。万千代元服。井伊兵部少輔直政を名乗る。 |
||
1583 | 天正11 | 直政、駿河三枚橋城主松平康親の娘花と結婚。 | ||
1584 | 天正12 | 小牧、長久手の戦い。 直政、先牛の大将として戦功を上げ六万石に加増。 |
||
1585 | 天正13 | 直政実母、浜松松下源太郎宅で没。 | ||
1586 | 天正14 | 直政、実母一周忌に龍潭寺に参詣。 南渓和尚、「清凉泰安」の 法名を授ける。 家康、浜松より駿河へ移る。直政、家康に従って駿河へ移る。 |
||
1588 | 天正16 | 直政、聚楽亭へ家康に御供す。 直政、秀吉の計らいで侍従に昇格する。 |
||
1589 | 天正17 | 龍潭寺第二世南渓和尚、遷化。 | ||
1590 | 天正18 | 2月、直政の長男直継、浜松で誕生。 3月、直政、小田原合戦で先手を勤める。 7月、小田原城落城。家康関東移封。 小田原合戦の功により秀吉から六万石を加増され、箕輪十二万石の大名となる。 9月、次男弁之介、駿州中里で誕生。 |
||
1598 | 慶長3 | 直政、上野国高崎に築城して移る。 | ||
1600 | 慶長5 | 9月15日、関が原合戦。直政先陣を切って活躍。 | ||
1601 | 慶長6 | 直政、十八万石佐和山城主となる。 | ||
1602 | 慶長7 | 2月1日、直政、関が原合戦の鉄砲傷がもとで生涯を閉じる。42歳。 彦根芹川の中州で火葬に付し、龍潭寺に葬る。法名「祥寿院殿清凉泰安大居士」。 |
||
江 戸 時 代 |
1603 | 慶長8 | 2月12日、徳川家康、征夷大将軍となり江戸幕府をひらく。 | |
1607 | 慶長12 | 直継、彦根城を完成させる。 | ||
1615 | 元和1 | 大阪夏の陣。直孝、彦根城主となる。 直継、上野安中城に三万石で移封、直勝と改める。 |
||
1617 | 元和3 | 彦根に弘徳山龍潭寺創建、井伊谷龍潭寺五世昊天、開山となる。 | ||
1633 | 寛永10 | 25代直孝、大阪の陣の功により三十万石に加増され、 徳川幕府譜代大名の筆頭となる。 |