井伊家の歴史

龍潭寺歴代住職


龍潭寺二世 南渓瑞聞(なんけいずいもん)


南渓瑞聞 頂相


天文20年(1551)、開山黙宗瑞淵より南渓の号を授かる〔開山黙宗大和尚行実〕

天文23年(1554)、開山黙宗瑞淵没。その頃、龍潭寺二世となる。

永禄3年(1560)桶狭間の戦いにて亡くなった今川義元の葬儀が臨済寺で営われた際、安骨の大導師を勤めている。

また、永禄12年(1569)に徳川家康が気賀堀川城を攻めた際の戦死者(尾藤主膳・山村修理・竹田高正 等)を葬っている。

天正17年(1589) 9月28日 没。

 

龍潭寺三世 傑山宗俊(けっさんそうしゅん)


傑山宗俊 頂相


道号并号頌
(南渓和尚の書)
弘治2年(1556)頃、師・南渓瑞聞より傑山の号を授かる。
龍潭寺に残る道号并号頌は南渓瑞聞の書。

天正12年(1584)、井伊直政が小牧長久手の戦いに出陣した際、弓の名人であった傑山は、昊天(長刀の名手)と共について出ている。〔井伊家伝記〕

天正17年(1589)に龍潭寺二世・南渓瑞聞が亡くなると、龍潭寺三世となる。



 


龍潭寺五世 昊天宗建(こうてんそうけん)


彦根龍潭寺



龍潭寺六世・萬亀惟鑑の
授かった道号并号頌は
昊天の書
(『龍潭寺の美術』
彦根城博物館発行より)

天正12年(1584)、井伊直政が小牧長久手の戦いに出陣した際、昊天(長刀の名手)は傑山(弓の名人)と共について出ている。〔井伊家伝記〕

慶長5年(1600)頃、龍潭寺四世・悦岫永怡より昊天の号を授かる。

慶長7年(1602)、関ヶ原の戦いの鉄砲傷がもとで井伊直政が亡くなる。その時の遺言により佐和山に豪徳庵を建てる。〔彦根龍潭寺史〕

元和3年(1617)、彦根に弘徳山龍潭寺創建。昊天、開山として迎えられる。(※異説あり)
その後、井伊谷龍潭寺五世となる。


 昊天所用と伝わる長刀が龍潭寺に保管されている。一説によると、反りの深い長刀を好んだため、その長刀を昊天反りと呼ばれたとか。

 


歴代住職 位牌

歴代住職の位牌は開山堂に安置してあります。

龍潭寺三世
傑山和尚
龍潭寺勧請開山
文叔和尚
龍潭寺五世
昊天和尚


 

 龍潭寺二世
 南渓和尚

 

 (※展示の為移動する場合あり)





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